シスタープリンセス SS
なつ。
 千影の家に行くと、いつもの格好で千影が待ちかまえていた。
「……やぁ 兄くん…… 海に行こう……」
「は?」
 いつものように腕を組み、なんだかえらそーにそんなことを言うものだから、素っ頓狂な声で答えてしまった。
「また、なんでまた海?」
「……そんなこと ……兄くんが気にする必要は無いだろう……?
 ……咲耶くんや可憐くんにも話はつけてある……」
 そ、そうですか。もはやなんともいえなく偉そうである。
 話を聞くと、妹たちと僕で海に遊びに行こうということになったらしい。結構急な話なものだから、妹たちの中には既に予定を入れていたのもいたりして、人悶着あったみたいで。みんなでいけるように日を延ばそう――という話でまとまりかけたけど、最終的に当初の予定通りに決まったらしい。
「……来週の土曜日は ……予定を開けておいてくれたまえ……
 ……では また来世……」
 目の前でぱたんと扉が閉まる。
 僕は家に呼ばれたんじゃ無かっただろうか? そんな疑問が頭をよぎるが、千影に関することでは何もかもが理不尽なのは当たり前のような気もする。告げるだけ告げられて、なんだか釈然としないまま僕は自分の家に帰る事になった。
 ……もしこれが他の妹なら、メールか電話で教えてくれただろうに。何で今回は連絡係が千影なんだ? ――千影の発案、なのかな?
 せっかくの妹たちからのお誘い、僕には断る理由なんて無い。そんなわけで週末は妹たち数人と海に行くことになった。どうやら今回は妹たち全員とお出かけってわけじゃない――ってのがひとつの救いだろうか。

「お兄様っ 早く早くっ」
 駅を出るとそこはもう海の香りに満ちていた。みやげ物屋や食べ物やが並ぶ駅前通りの向こう側はちょっとした堤防になっていて、そのすぐ向こうに海が見える。空は青く、都会に近い海水浴場にしては塩の香りが心地良い。その夏らしい光景に居てもたっても居られなくなったのか、改札を抜けるやいなや、咲耶が駆けだしていた。
 咲耶は時折こちらを振り向きながら、堤防の切れ目に見える海岸への降り口に向かっている。あー。前を見てないよ。
「咲耶、前を見ないと危ないってっ」
 声をかけたのが少し遅かった。ほぼ同時にぷぁっとクラクションの音が鳴り、
「きゃぁっ」
声をあげて咲耶が腰から倒れ込む。通りを渡る寸前の咲耶を掠めて行った車は、そのまま走り去っていった。
「咲耶、大丈夫?」
 僕は咲耶の側に駆けていった。咲耶は驚いた表情を顔に張り付けたまま、打ち付けた腰を手で押さえている。
「子供じゃないんだから、道路に飛び出していったら危ないって事くらい分かるだろう?」
 言いながら手をさしのべて、起きあがるのを助けてやる。
「ごめんなさい、お兄様。心配をかけてしまったわね。
 ああ。でもお兄様。こんな私に優しく手をさしのべてくれるなんてさすがねっ」
いや、あの。もう手を離して欲しいのだけど。
 咲耶は僕の手を握ったまま、いつものきらきらした瞳で僕を見つめている。勢い、見つめ合う形になった。
「咲耶ちゃんっ 大丈夫?」
 ぱたぱたと走ってくる音がした。
 その声に振り向くと、僕の荷物を持った可憐が心配そうに僕たちの方を見ている。
「咲耶ちゃん、危ないから気を付けたほうがいいよ?
 ……あ。おにいちゃん。はい、お荷物」
 可憐ははい、と僕に荷物を手渡す。ありがとう、と礼を言いながら受け取ると、
「そんな、おにいちゃん……
頬を染めてうつむいてしまった。
 ちっ
 ……舌打ちが聞こえたような気がするのは、気のせいということにしておこう……

「まったく…… なにをしているんだい 兄くん」
 可憐の後ろから、音もなく千影が歩いてくる。いつもの黒いマントに身を包んだ格好だ。そんな格好でも汗一つ見せずに平然としている。その後ろから、白雪、四葉が歩いてくる。
「んー。僕は特に何もしていないと思うんだけどな?」
「ふふ…… 自覚が無いのなら ……それもいいかもしれないね、兄くん……」
 ああ。また怖くなるような事を言ってる。
「さあ、とりあえず。海の家に行って落ち着こうよ。2時間も電車に揺られてきたわけだし、一休みしてからはしゃごうよ」
 促す声にみんな揃って、海に降りていく。なんだか前途多難な海遊びになりそうだった。


 海はそれほど混んでいるというわけじゃなかった。
 まだ夏休みに入ったばかりという事かもしれない。天気予報で、今日の天気はそれほど良くないと言っていたことも影響してるだろうか。実際の天気は快晴で、これほどの海遊び日和も無いと言っていい。
 車でもないのに重いものを持ち運ぶのはよろしくない、そんなわけでたいしたものを持ってこなかったものだから、海の家でパラソルや何やら一式を借りる。妹たちは着替えに出ていった。男の僕は着替えなんていってもシャツを脱ぐだけだし、一応男一人だしという事でパラソルを立てたり、レジャーマットを広げたりと労働にいそしむ。
 今はそんな作業も終わり、レジャーマットに腰を下ろしてぼんやりと海を眺めている。サングラス越しにも海に反射した日の光がまぶしい。今日の日差しではかなり日焼けしそう。それにしても妹たちは遅いな。やっぱり女の子ってのは着替えに時間がかかるのだろうか。
 さく、さく、さく。
 小さく、砂をはむ音が耳に届く。
 と、僕の頭に影が掛かった。
「お兄様っ」
 振り返ると、僕の後ろに回り込んでいた咲耶が上からのぞき込んでいる。
「もう。お兄様ったら全然気がつかないんですもの。いつもそんなにぼーっとしているの?
 ああ。でも海を見つめてぼーっとしている、そんなお兄様もステキ……」
 おーい。咲耶さん?
 腰に手を当てて僕を責める風だったのに、いつの間にか乙女チックモード全開に入っている。夏の乙女は妄想力満開か。
「そ、そんなことより」
 はっと飛んでいた自分に気がついたのか、僕に話を振ってくる。
「どう、お兄様?」
 どう? と咲耶が聞いてくるからには水着のことなんだろうなぁ。改めて咲耶を見てみる。今日の咲耶はオレンジ色の少しフリルのついたビキニ。いつぞやの室内プールの時ほどはきわどくなくて、腰には薄いパレオを巻いている。
「うん。似合ってるんじゃないかな?」
 ぱぁっと咲耶の顔が輝く。
「ありがとう、お兄様っ」
 咲耶の足にぐっと力が入り、こちらに向かって抱きついて(と言うよりかは飛びかかって)来ようとした瞬間。
「おにいちゃ〜んっ」
 声が聞こえて咲耶が滑った。ぺしゃ、と顔から墜落する。
 咲耶はほっておいてとりあえず声のした方を振り向くと、着替えの終わった可憐が手を振りながら駆けてくる。
 ちっ
 また舌打ちの音が聞こえたような気がした――
「はぁ、はぁ。おにいちゃん、遅くなってごめんなさい」
 僕の所まで来ると、胸に手をやってうつむいて、切れ切れの声で可憐が謝ってくる。更衣室からここまではそれなりの距離があるし、それに砂の海岸を走るというのもそれなりにつかれるだろう。
「大丈夫?」
「あ、はい。可憐は大丈夫です。
 ――それよりおにいちゃん」
 息を整えて、それから可憐はくるっと回る。
「可憐、似合ってますか……?」
 はにかみながら聞いてくる。可憐の水着はピンクのワンピース。可憐らしいと言えば可憐らしい。
「うん。似合ってるよ」
「よかったぁ。この水着、今日のために買ってきたんです」
 にっこりと笑った。
 ちっ
 ああ。また舌打ちが聞こえるような気がしたのは、気のせいなのだろう。きっと。
 咲耶はぱっぱと着替えてしまうだろうから一番早いとして、着替えに関しては可憐が一番遅そうなんだけどな。他の妹たちはどうしたんだろう?
「えっと、千影たちはまだ?」
「……わたしなら…… ずっとここにいるよ……」
 突然背後から千影の声がした。
「うわっ」
 飛び退いて後ろを見ると、パラソルの影の中に、千影が立っている。片手を腰にやってふんと僕たちを見やる様は、あまりに様になっていた。
 その横にいる咲耶に、目で聞く。
 ――いつから、居た……?
 ――(ふるふる)わからないわ お兄様……
「……いつから居たか……どうやって来たか……
 ……そんなことはどうだって良いじゃないか、兄くん。
 ……わたしはいつだって……兄くんの側にいるのだから……」
 ふふっと千影が笑う。海だというのに黒いマント。ああ、でもあのマントはマントと言うよりも日差しから肌を守るもので……その下にはやっぱり黒を貴重としたセパレートの水着を着ていた。うん。まあ千影らしい。
 えーと、あと白雪と四葉?
「あーーーにちゃまぁぁぁ
 ちぇーーーぇぇきぃぃぃぃぃー」
 どさっ。
 声とともになにか重いものが上から落ちて来て、僕は何かに押しつぶされた。
 うん。何かって言ってもさっきの声で何が落ちてきたのかは分かるんだけど。
「四葉……おもい……」
 ばっと立ち上がると、顔を赤くした(と思う。見えないけど)四葉がまくし立ててくる。
「あにちゃま、酷いですっ。四葉そんなに重くないデスっ」
 というか、上から落ちてきたから勢いがついていてね……?
 ……上から? なにか、僕に飛びかかってくる足がかりになるものってあったっけ?
 まぁ、この妹たちとつきあっている以上は、そんなのは気にしない事にしよう。
「あ・に・ちゃ・まっ。
 聞いてるデスかっ?
 もうあにちゃまはいつもぼけぼけさんデスねっ
 ――えーっとあにちゃま? 四葉の水着、変じゃないデスか?」
 さっきの剣幕もちょっと収まって、しおらしく聞いてくる。えーと。四葉の水着はきいろい色のセパレート。下にはひらひらとしたスカート状のもついて手ちょっとかわいい系。
 うん。四葉にはよく似合ってる。
 そう伝えると、体の前で手をもじもじとさせて、
「あ、ありがとデス……」
小さくつぶやいた。そういうところはかわいいんだから、いきなり飛びかかってきたり飛び降りてきたりはやめて欲しいな、と兄としては思う。……程度の差はあれ、妹全員に言えることだけど。
 さっきから台詞が無いから全く目立っていない白雪は、白のワンピースでやってきた。真っ白というわけじゃなくてちょっと柄が入っている。とても、白雪らしい。そう伝えると白雪も赤くなってうつむいてしまった。
 ふぅ。これでようやく全員揃ったわけだ。なんかここまででとても疲れてしまったのは――いつものこと、なんだろうか……

 咲耶・四葉組と僕と白雪組でビーチボール。千影の磯の生物解説(ちょっとあやしげ風味)。可憐とはボートこぎ。
 ひとしきり遊んだ僕は、パラソルに戻って休んでいた。
 目の前では咲耶、白雪組と可憐、四葉組のビーチボールが続いている。
「ちぇぇぇきさーぁぁぁぶっ」
「あまいわっ」
「きゃっ。咲耶ちゃん、顔を狙わないでっ」
「わ。わ。咲耶ちゃん、行ったですのっ」
 なんだか楽しそうに遊んでいる。見ていると、咲耶と四葉はそれなりに運動神経が良いけれど、可憐と白雪はそうでもなくて標的にされている。
 ……可憐に対する咲耶の攻撃が必要以上にきつく見えるのはきっと気のせいなんだろう、たぶん。
 妹たちから目を離してふと浜に目をやると、それほど混んでいない向こうの方には8人組で遊んでいる人たちがいた。ぱっと見た感じ、僕たちより少し年上かな。グループのうちの二人は双子だろうか、色違いの水着を着ているけど、顔立ちや体型ではなかなか区別が付きそうもない。
 男の人が一人目隠しをして棒きれをもち、スイカ割りをしている。その後ろでは双子の片方が囃し立て、長い黒髪の女の人と、外国人らしい女性が二人応援の声を送っていた。
「……めずらしいね ……こんなところに……」
 パラソルの影に千影が入ってきていた。先ほどまで姿が見えなかったけど、どこに行っていたのかは詮索しないことにしておく。ビーチマットに腰を下ろして、向こうの8人組に目をやってる。
「……是非研究材料として ……手に入れたい所だが……
 3人…… 4人? いや…… 8人ともか……
 これはさすがに…… 私ひとりでは手に負えないかもしれないね……」
 なんだか怖いことを呟いている。
「向こうの人たちがどうかしたの?」
「うん……?
 ああ…… 兄くんには…… 感じられないのか……」
「?」
「あれほどまでに人外が集まるというのは…… 非常に珍しいことなのだよ……
 是非研究材料として…… 一体くらいは手に入れたいものだが……
 ……あれだけ沢山いると ……私一人では手に負えないかもしれないね……」
 そ、そうですか。
 深く追求すると怖そうなので、深くは聞かない事にした。
 千影はずうっと、彼らに視線を送っている。時折、「……綺麗な……オーラだ……」などと呟くのが怖い。

「ふぅ つかれましたですの」
 しばらくすると、ビーチボールを終えた4人が戻ってきた。
「くすん。咲耶ちゃん、顔ばっかり狙うんですもの……」
「そ、そんなことないわよ? 可憐の背の高さがたまたまわたしが打つ高さにぴったりだったんじゃないかしら?」
「なかなか白熱したゲームだったデス。体を動かしたからおなか空いちゃいマシタ」
「それじゃ、お弁当にするですの☆」
 白雪が自分の鞄から、次々にお弁当箱を取り出してくる。確かに大きな鞄をもっていたけれど、こんなにも沢山の弁当箱が入っていたなんて。
「はい、にいさま☆ 姫の愛情がたーーーぷりつまった、お弁当ですのよ☆」
 他のものより少し大きなお弁当箱を手渡してくる。6人それぞれの弁当箱と、サラダ、デザート、それからちょっとしたおかず…… 作るの大変だっただろうなぁ。
 みんなの手元に弁当箱が行き渡ったところで……
「「「「「いただきまーす」」」」」
「……(黙礼)」
 弁当箱を開けると、色とりどりの具材が詰め込まれていた。一つを手にとって、口に放り込む。……もぐもぐ。
「うん。おいしいよ、白雪」
「やん。にいさま☆ でも喜んでもらえるとうれしいですの。姫、にいさまのために一生懸命作りましたから」
 ぽっと頬を染めてうつむく。
「うー。悔しいわねー。ほんっと悔しいけど、やっぱり白雪ちゃんのお弁当はおいしいわ」
「ほんとう。可憐、今度白雪ちゃんにお料理を教えてもらおうかな?」
「あー。四葉も習いたいデスっ あにちゃまにおいしいって言ってもらえるようなご飯を作りたいデスから……」
「……ふむ…… これだけの腕だったら…… 調合もうまく出来るかもしれないね……」 一つ具を食べて「おいしい」って言う度に、白雪はやんやん言って顔を赤くしていた。うん。こういうのもかわいいよね、やっぱり。

 お昼も食べて落ち着いて……
 可憐や四葉、白雪と水際で水遊びをしていると、どこかに姿を消していた咲耶がひょっこりと姿を現した。
「お兄様? ちょっといいかしら」
「ん? なに?」
 遊びの手を休めて、顔だけ咲耶の方に向ける。
「向こうで、ボートの貸し出しをしているの。お兄様、一緒にどうかしら。
 ……お兄様がイヤと言うのなら仕方が無いけれど……」
 可憐たちの方に顔を向けて、いいかな? と聞いてみる。
「いってきてください、おにいちゃん。さっきまで可憐たちと遊んでくれましたし」
「あにちゃまと遊べないのは四葉ちょっと寂しいけど、行って来てくださいデス」
「ですの」
 そんなわけで咲耶とボートで沖に出ることにした。貸しボートを浮かべて、波打ち際に浮かべる。
「さぁ、咲耶。乗って」
「ええ」
 先に咲耶を乗せる。恐る恐ると足をふみだしてちょっとバランスを崩しながら、最後はぺたんと崩れるようにボートに乗り込んだのを見届けて、僕もボートに乗り海にこぎ出す。
 真夏の日差しは強いけれど、海に出るとその日差しもまた気持ちよかった。風が流れ、頬を薙いでいく。波に煽られて少しバランスを崩すと咲耶が「きゃっ」と叫んで、そんな様子もまた面白い。
 気がつくとだいぶ沖に出ていた。遠く岸辺では可憐たちが水辺でまたボール遊びに興じていて、千影がパラソルの位置からそれを見守っていた。可憐がこちらに気がついたようで、大きく手を振っている。風が、ちいさく「おにいちゃーんっ」という可憐の声を運んでくる。ボートの上から手を振り返すと、四葉や白雪も加わって手を振ってきた。
「結構沖まででてきちゃったね」
「……そうね、お兄様。
 降り注ぐ真夏の太陽。海面を撫でるそよ風。
 ボートの上でわたしとお兄様は二人きり……☆」
 あ……
「ほんとう、わたしたち、ふたりっきりね」
「咲耶……」
 咲耶が潤んだ瞳で僕を見つめる。心なしか、体が僕の方に近寄ってきている。
「お兄様、わたし……」
「……」
 まずい。咲耶の空気にのまれてる。このままだと……
 咲耶はすこし腰を浮かして、こちらにしなだれかかってこようとした。当然――腰を浮かした瞬間、ボートのバランスが崩れる。
「きゃっ」
 咲耶がバランスを崩して海に落ちる。僕も手を伸ばすが――まにあわないっ ――そう思った瞬間、海の中からにょきっと生えてきた手が咲耶を支えた。
「えっ……?」
 その手は片手で咲耶を支えて、ボートの中に押し戻す。続いて、ぷはっという景気のいい声と共に金髪を濡らした女性の頭が水面から顔を覗かせた。
「あぶないよー? わたしがたまたま通りかかったからよかったものの、普通だったら落っこちちゃってたよー?」
「「あ…… ありがとうございます」」
「うんうん。ここは結構沖で危ないから、気を付けるんだよー?」
「「…はい」」
「んじゃ」
 女性はそういうと「しーーきーぃぃぃ。わたし、ひと助けしちゃったよーー☆」などと叫びながら凄い速度で岸に向かって泳いでいく。僕と咲耶は目を点にしてそれを見送った。
「ええっと……」
「あ……」
「咲耶……? ボートの上で立ち上がると危ないから、やめようね?」
「は…… はい。お兄様…… ごめんなさい。ちょっと考え無しだったわ」
 しゅん、とする咲耶をなだめて、
「岸にもどろっか?」
 言うと、咲耶は少し残念そうにしながらも頷いた。
 ぱしゃぱしゃとボートをこいで岸に戻ると、みんなが出迎えていた。
「おにいちゃん、おつかれさま」
 可憐がそう言ってジュースを手渡してくれる。ふたを開けて飲み干す。水の上で日差しに焼かれた喉には、炭酸の刺激が心地いい。
「さーてあにちゃま。
 次は四葉の番なのデス」
「……へ?」
 思わず目が点になる。四葉は人差し指をたててちっちっと揺らし、
「咲耶ちゃんだけなんてずるいのデス。わたしたちもみーんな、あにちゃまとボート遊びしたいんデスから」
「……え? だってさっき……」
「あれはそれ、これはこれ、デス」
 ふふんっと笑う四葉に、どこか乞うような目つきの可憐と白雪。
 ――結局、全員とボートで沖まで出ることになった。

 最後に千影をボートに乗せて戻ってくると、もう腕はぱんぱん。パラソルの下で休む羽目になった。
「兄くんは…… もう少し体力を付けた方がいい……
 そうでないと…… 闇にとらわれたときに…… 生き残れないかもしれないね……」
 相変わらず物騒な事を言う千影の言葉を聞き流し、目を閉じた。
 浜辺に聞こえる歓声、波の音、優しく吹く風。ふっと意識が遠のいていく。
「おやすみ…… 兄くん……
 ……夢の中くらいでは…… 私といっしょに……」
 なにか、小さく呟く声が聞こえた気がした。


「おにいちゃん、おにいちゃん……」
 ん……と目を開けると、目の前に可憐の顔。
 あ、起きた。と呟く可憐は、恥ずかしそうに僕から顔をはなすと
「おにいちゃん、そろそろ夕方になっちゃいます」
そう言った。
 そうか、ボートを漕ぎつかれて寝てしまったんだっけ。妹たちには悪いことをしたかな。
「ごめんね、寝ちゃってたね」
「うんん。可憐たちこそ、おにいちゃんに無理を言ってしまってごめんなさい。つかれたでしょう?」
 いや、いいよ。と言って立ち上がる。咲耶も白雪も、パラソルの下で寝ていた。
「……みんな寝てた?」
「うん。おにいちゃんが寝てるのをながめてたら、いつのまにかに」
 ……ながめられてたのか。周りからは変な光景にみえただろうなぁ。
「だいぶ静かになりましたね……」
 可憐の言うとおりだった。人が少ない海岸――とは言ってもそれなりに騒がしかったのだが、日の落ちようとしている今は向こうに団体が見えるだけだ。日差しもだいぶ和らいで、そろそろ空も朱に染まろうとしていた。
「おにいちゃん。今日はありがとうございます」
「ん。別にどうってことないよ。
 他のみんなもこれれば良かったんだけどね……」
 12人の妹と海遊び。さぞかし騒がしく、面白い休日になっただろうな。
「今度はみんなで来ましょうね」
「そうだね」
「今日は千影ちゃんに感謝しなくっちゃ」
「……千影に?」
「うん。今日は、千影ちゃんの『お兄ちゃんの日』だから。それなのにみんなで遊びに行こうって声をかけてくれて」
 ――そっか。そういえば今日はその日だった。それなのにみんなで遊びに行こうなんて。後で何か埋め合わせしなくちゃだめかな?
「……そう……思っているなら……
 是非今度の実験を…… 手伝ってくれないか……」
 いつの間にか起きていた千影が、僕たちの正面に立っている。突然の声に可憐は「きゃっ」と声を上げ、身を寄せてきた。
「なんだ、千影ちゃん……」
「ふふ…… 今度の実験は…… なかなか面白い実験だよ……
 ……きっと 兄くんが向こうに行くときに…… 役に立つと思う……」
 えーと…… 向こうって……? 怖いので聞かない事にしておこう。
「んっぅ―― ふぁぁ――
 あら、おはよう、お兄様☆」
 目を覚ました咲耶が、声をかけてくる。
「やあ、目をさましたん――」
 突如咲耶の目が鋭くなる。僕と――身を寄せている可憐を見つけたから、か?
「あらお兄様。私が寝ている間に、いったいどんなことをなさってたのかしら☆」
 目が笑っていないし、語尾に飛ばした星がちょっと怖い。
「どんなこと……って……」
「ああ、最後まで言わなくってもいいのよ。それじゃぁわたしにも……」
 言って、体を寄せてくる。顔が、どんどん近づいてくる。……何を勘違いしたのかとってもわかりやすい。
「あー あのー えっと、咲耶……?」
 聞く耳無しでどんどん顔を近づけてくる。と。
「あーにちゃまーーっ ちぇーーーーきぃぃぃーーー」
 ……
 四葉が突然立ち上がり、叫んで――またぱたりと倒れた。
 ……雰囲気だいなし。もちろんそれは咲耶にとっての”雰囲気”なんだけど、意気をくじかれた咲耶は「ちっ」と舌打ちのような表情をみせて、
「……お子さまね」
呟き、すごすごとパラソルの中に戻る。
 空はもう、まっかに染まっていた。大きな太陽がゆっくりと、水平線に沈みつつある。「綺麗だな」
「……そうね」
 赤い光は水面に反射し、複雑な文様を描く。風と波によって次々に姿を変える光の芸術に目を奪われる。咲耶も可憐も、僕の隣に座って肩に頭を預けてきた。
「また、来られるといいね」
「……違うわ、お兄様。
 来るのよ。絶対に」
「おにいちゃん、今日はありがとう」
 千影は僕たちの方を見やって、また太陽に視線を戻した。いつもは何を考えているのか分からないし不思議な言動が多い千影だけれど、たまにこういう計らいをしてくれるのには感謝したい。――もしかしたら、とんでもない深謀遠慮があるのかもしれないけれど。「――今日はありがとう、千影」
 だからそう、口にした。
「さっき言っただろう…… あにくん。
 ふふ…… 今度の実験は…… きっと面白いものになるよ……」
 なにか、千影なりの返し方なんだと思うことにしよう。
 もはや半分までその身を海に沈めた太陽を見ながら、今度は僕から誘って、また妹たちと遊びに来ようと思った。
 ――幾分問題はあるにしても、こんなにもかわいい妹たちなわけだしね。

-FIN-

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なにかございましたら、どぞ。