始まりの日

 イリヤスフィール・フォン・アインツベルンは子供扱いされるのが嫌いである。何せ、自分では士郎のおねーさんだと思っているのだ。士郎の頼れる姉として、自分に残された時間を精一杯士郎のために使ってやろうと思っているのだ。

――それなのに、士郎の行動はどういった了見なのか。

 例えば。
 昨日の夕食時の話だった。

「「「「「いただきます」」」」」
 居間に揃った全員が唱和して夕食が始まる。今日の担当は凛で、凛が作るからには中華料理の数々がテーブルに並んでいる。中華は大皿に盛っておいて各々小皿に取るのが普通の食べ方だから、必然的に夕食時は奪い合いになる。
 わたしは向かいに座るタイガに負けないように、まずは麻婆豆腐を自分の皿に取った。
「あー イリヤちゃんずるいっ。そんなに取ったらわたしの分がなくなるよう」
 そんなことを言っているが、タイガ本人はどうだというのか。じとっとした目でタイガを見返す。
「タイガ。タイガはどうなのよ? その手のお皿は何?」
 見れば。大河もちんじゃおろーすを自分の皿に山と積んで確保している。それこそ、大皿を自分で全て確保せんばかりの勢いで。
「ふん。わたしはいいのよ。イリヤちゃんと違って体がおーきいんだから、その分食べて当然なの」
 ふふん、と胸を張るタイガ。確保した皿は片時も離さない。
「藤ねぇ。ほかにも皿はあるんだから、そっちから取れよなぁ」
「えー。遠坂さんの料理っておいしいんだから、たくさん食べたいのよう」
 ぷくーっとほおを膨らますタイガ。
「タイガ。
 それだけ食べると…… 横に大きくなっちゃうわよ?」
 冷たい視線に、そんなことないもん……と小さくすねながらも気になったのか、大皿をテーブルにそっと戻す。ふふん、とばかりに自分の分を確保に入る。そんな様子を見ながら、シロウが小さく息をはいた。
「しっかし、イリヤもよく食べるよな」
「む。レディに向かって失礼ね。
 シロウ? こういう時にはもっとほかの言い方があるでしょう?」
 自然と口を尖らせてしまう。だいたい、タイガやサクラやセイバーと比べて、負けず劣らずよく食べるとゆーのは誉め言葉じゃないと思うのだが、どーだろうか。
「――まあ、育ち盛りなんだな」
 わたしの耳は、つぶやいた言葉を聞き逃さない。
「それは、なんといいたいのかしら? シロウ?」
「イリヤも食べ盛り育ち盛りなんだなぁと思って……っぃっ」
 視線の先のシロウが凍りつく。
「い、イリヤ……?」
「へぇ。シロウはわたしの事を子供だっていいたいのね? 

「イリヤ」
 シロウの、慌てたような、それでも低く抑えた声がわたしの耳に届く。凛も、食事をとり分ける手をとめてわたしの方を見つめている。

「うー。とにかく、わたしは一族から離れて日本まで来ているんだから、もう十分に一人前なのよっ」
「そうよねー」 のほほんとした声をあげるタイガ。自然と伸びあがり、わたしの頭にぽんっと手を置く。わしわしと髪をかき混ぜられる感触。
「えらいえらい」
 それそのものは気持ちのよいものなのだけれど……
「それが子供扱いっていうのよっっ」
 
 であるとか。

 昨日の昼のこと。シロウの家でひなたぼっこをしていたら、シロウが夕食の買いだしに行くというのでついていった。

「あらあら。衛宮くん、捨て置けないわねえ」
 商店街の魚屋さん。ゴム前掛けをつけた女の人が、のほほんと声を掛けてくる。
「桜ちゃんでしょ、それに最近は遠坂さん? いちおう大河ちゃんもいるし……」
シロウの顔が、「藤ねぇは”一応”ですか」という、はふぅとした顔に変わる。なんだかちょっとムッとしてしまう。シロウはいつもこの辺に買い物に来ていて、商店街の皆さんにいろいろと目撃されているわけね。きっとこの女の人なんかはいろいろと面白いことを知っているに違いない。今度一人で買い物にきたら、シロウの面白い話をいろいろと聞いてみよう。
「……で、この子は衛宮くんの子供?」
 シロウの顔がみるみる赤くなる。
「ばっ…… そんなわけないでしょう? 親戚の子ですよ」
冗談を言われたのに真に受けて対応してしまう、こういうところは絶対に魔術師向きじゃないわよね…… わたしは心の中で小さくため息をつく。魚屋さんの女の人もくすくす笑ってる。きっとこうやっていつもおもちゃにされているに違いない。
 わたしはいづまいを正すと、スカートの端を広げてちょこっと挨拶をする。
「イリヤスフィール・フォン・アインツベルンと申します。おみしりおきを」
「あら、日本語がお上手なのね。ちいさいのに」
 女の人がほにゃっとした笑顔に変わる。「切嗣さんの?」「ええ」という会話が聞こえる。心がちくっと、痛んだ。
「そうだわ」
 会計のやり取りを終えて、ぱたぱたを店の奥に駆けていった女の人は、すぐにまたぱたぱたと戻って来た。
「イリヤスフィールちゃん? どうぞ?」
 袋詰のおかしだった。
 ぴくっっと自分の頬が引きつるのがわかる。
 のど元までこみあげてきた何かを、必死でおしとどめた。
「ありがとう、ございます」
 最高の笑顔を作り上げる。女の人はひらひらと手を振って、「また来てね」と声を張り上げた。
 おかしを抱えて、商店街を歩く。歩く。歩く。
 魚屋が見えなくなると、わたしは作り笑いの表情を引っ込めて、ぶすっとした顔になる。
「イリヤ」
 そんなわたしを見て、シロウは注意の声をあげる。わかってる、わたしだって。
「わかってるわよ。好意よね。好意。
 だから、頑張ったもの」
「そうだな」
 ぽんっと、シロウの大きな手のひらが、わたしの頭をたたいた。
 ぴくっと頬が引きつる。このときわたしが見せた笑顔は、シロウを凍り付かせるのに十分なものだったに違いないのだ。

 ……であるとか。

 そりゃあ、気持ちは、わかる。
 わたしだって、士郎のおねーさんを自認するわけだから、「わたしのことをかわいく思ってくれているのだろうなー」などと考えて悦に入ることも、無いではない。けれど。

 ――さすがにさっきのはどうなのだ。

 お風呂上がりの髪をやさしく包んで乾かす。こちらに来て気に入ったのが、毎日入る湯舟のお風呂だ。アインツベルンの森ほどではないにせよ、冬木の冬は寒い。体が内側から温まってほかほかといい気分になる。タイガの家のお風呂も広くていいけれど、衛宮の家のお風呂は、なにか暖かい感じがした。
 居間に顔を出すと、シロウと、サクラと、タイガと、……リンがコタツに足を突っ込んでテレビを見ていた。

……もう慣れたけれど、 何でリンまでここでごろごろしてるかな。

「あ。イリヤちゃん、お風呂出たのね」
 首までコタツに漬かっているタイガが、半分閉じた目をわたしの方に向ける。よいしょっと、小さな声をあげて、リンがコタツから這い出した。
「じゃあ、次はわたしがお風呂いただこうかしら」
 その言葉に、サクラの表情が凍りつく。
「……遠坂せんぱい?]
 怪訝な表情を見せるサクラに、リンは悪魔の微笑みを見せた。
「今日はわたし、ここに泊まるから」
 がたっと大きな音をあげて、サクラがコタツから飛びだす。
「遠坂先輩っ」
 きっとした表情でリンを見つめるサクラ。次に非難の視線をシロウに向ける。
 え、オレ? というような表情を見せるシロウ。……相変わらずね。
「先輩っ。わたしも泊まりますっ」
「寝巻きとかどうするの? 桜?」
「そんなものどうとでもしますっ 先輩と遠坂先輩が二人で一つ屋根の下だなんて…… みとめられませんっ」
 顔を紅潮させて声を張り上げるサクラ。
「じゃあ、わたしも泊まるよー」
 コタツが声をあげた。
「藤ねぇ?」
 タイガだ。やるきなくコタツに包まったタイガは、やる気なさげな声をあげる。
「間違いが起こらないように、わたしがみはってるよー」
「藤ねぇ…… コタツから出たくないだけだろ?]
 シロウがふぅ、と頭を抱える。わたしはぴらっとコタツ布団をめくって足を突っ込んだ。あたたかい。
「えー。でも、女の子二人と一つ屋根の下はまずいでしょー」
 タイガ、あなたも一応女の人なのだけれど? 声をあげたくなる。
「わたしは教師だしー」 ごろごろとするタイガ。そうか、ネコはコタツで丸くなるんだ。
「でも、藤ねぇは帰らないと。イリヤを一人で返すわけにはいかないし」
「そうですよ。最近は物騒なんですから」
 シロウの言葉にサクラが加勢した。
「む」
 タイガの声が詰まる。
「女の子の一人歩きは最近危険なんですから」
「だいじょぶよー。イリヤちゃんくらいなら逆にあんぜんじゃないのかしらー」
「いや、そうもいかないだろ。最近は特殊な趣味のヤツも多いらしいしな」
「「士郎?」」
「ちがうっ」
 声をあらげるシロウ。わたしのほぉはぴくぴくと痙攣しているが、誰もきがつかない。
「じゃあ、イリヤちゃんも泊まればいいじゃないですか」
「むー。そうね、じゃあうちに電話でもしておきますか。士郎ーおねがいー」
「あのなあ、藤ねぇ……」
 タイガのやる気のなさにげんなりしながらも、シロウはコタツから立ち上がって電話に向かう。
「その必要はないわ」
 わたしはその前にたちふさがる。
「わたしは一人で藤村の家に戻るから」
「そういうわけには行かないだろ。何か藤村の家に用事でもあるのか? それなら俺が送っていくよ」
ふと、その提案もいいかな、と思ったけれど……
「大丈夫、一人で帰れるわ」
シロウの目を見つめて言い放つ。
「でも…… 夜も遅いし、イリヤちゃん一人じゃ心配ですよ」
「そうね。イリヤがしっかりしているとはいってもまだ子供だしね」
「わたしを誰だと思ってるの? わたしはイリヤスフィール・フォン・アインツベルンよ?」
 リンとシロウはわたしの言わんとするところがわかったらしい。魔術師たるわたしに対して、一人前ではない扱いもいいかげんにしろと言いたい。わたしはアインツベルンの魔術師で、聖杯戦争の生き残りなのだ。いろいろとぶちまけたいところではあるけれど、タイガとサクラの手前、そうはいかない。これは最後の一線。
「うーん。何か用事があるの? それならわたしも帰ったほうがいいかな」
 上半身だけコタツから出して、んーと伸びをするタイガ。
 そうだな、藤ねぇならなにかあっても安心だし。それはそれでなっとく行かないなあ…… あ、でも、やっぱり遠坂さんと桜ちゃんはここに残っちゃうんじゃない。なんて会話が聞こえる。
「いいわ。タイガ。
 わたしは一人で帰れるから。どうぞごゆっくり」
 タイガをきっと睨んで、わたしは玄関に向かう。夜の空気が、まだぬれた髪を通してキンと響いた。
「はいはい、そこまで」
 リンがわたしのまえに立ちはだかる。
「いいかげん意地張らないの。用事なんて、ないんでしょ?」
「そんなことないわよ」
「じゃあ、どんな用事?」
「え、えーっと……」
 とっさに答えを用意していなかったわたしはしどろもどろになる。その様子を見てリンはわたしの手を引き、居間に戻した。
「はいはい、コタツに入って。みかんでも食べてなさい。士郎、後頼むわね」
「お、おぅ」
 その後3人がかりの説得を受けて、わたしは折れざるを得なかった。そんなこんなで、結局わたしは衛宮の家に泊まることになったのだ。


 衛宮の客室。出入りする人間が増えたからか、整理して客が泊まれるようにしたらしい。洋風の部屋がわたしに割り当てられた部屋だった。もともとわたしのための部屋と考えていたのか、ちょっと低年齢向けのインテリアだ。
 ベッドから立ち上がってがーーっと吠える。思い出してむかついた。ベットの横に転がっていたぬいぐるみ(士郎に似ていないこともない)をむんずと握りしめ、自分の思いのままに投げつけた。ちょびっと、魔力がこもっていたかもしれない。
 わたしの秘めたる怒りが込められたぬいぐるみは扉に向かい――ぱふっと軽い音を立て、あまりにも丁度よいタイミングで扉を開けた凛の顔に張り付いた。

「――ぁ」
「……」
 やっぱり何か魔力が込められていたのか、顔に張り付いたままのぬいぐるみをぺりぺりとはがして凛が微笑む。
 あ。怒りまーくが浮かんでる。

「……イリヤスフィール?」
 にっこり。あかい悪魔が微笑んでいる。あー。えっとー。ほら、それは不可抗力というヤツなのだ。たまたまいらいらすることを思い出していて、たまたま手元にあったぬいぐるみを投げて。そうしたら投げつけた先の扉がたまたま開いて、そこにいたのが凛だった。そう。それだけなのだ。なのだけれど――
「あはは……」
「……ごめんなさいは?(にっこり)」
「……ごめんなさい」
 ぺこり、と。わたしはあっさりとあかい悪魔のプレッシャーに負けた。

★★★

「まあ、イリヤスフィールの気持ちも分からなくはないけれど。アイツはそういうヤツだってわかってるでしょう?」
「そりゃあ、そうよ。だけど、この短い間ににあれだけ、あれだけ重なるとさすがに我慢の限界を超えるってものよ」
 大判焼きを一つつまんで。小さな口でもくもくとはみながら器用に口を尖らす。渋めの日本茶で流し込んで、宙をにらむ。
 そんな様子を、凛は呆れた様子で眺めている。
 就寝の後の一休み。後で部屋に来てくれ、とイリヤに呼ばれてきてみれば、何のことはない。愚痴を聞かされるだけだったとは。
「大体士郎が私のことを何もできない女の子だと思ってるのが悪いのよ。聖杯戦争の間、私はずーっと一人でやってきたんだから。
 そりゃあ、こんななりだけれども。わたしは士郎なんかよりもずーっとずーーーっとおねえさんなんだからっ」
 変わらず肩をいからせてご機嫌斜め。少しづづたまっていたもやもやが、ここにきて爆発したのだろうか。
「確かにあいつは朴念仁なところがあるからなあ。この間なんて――」
 と。この間学校であったことを思い出した。確かに、「学校では今までと同じでいきましょう」と言ったのはあたしからだ。一人暮らしの高校生の女の子が、たとえ教師が日ごろ出入りしている家とはいえ――同級生の男の子の家にあしげく通っているなんて体裁が悪いではないか。けれども、アイツの今までとまったく変わらない態度はどうなのだ。こちとら優等生を長年演じてきた。容姿にだって――まあ標準より胸は無いかもしれないけれど(それだって魅力の一つでしょう?)――自信はある。それが、ああも態度が変わらないというのは……
「――リン? リンったらっ」
 ふと我に帰ると、イリヤの顔が目の前で、あたしの顔を覗きこんでいた。
「っっあっ」
「わ。何よ、リン。急にボケーっとしたらヘンな声をあげて。まるで私が襲いかかってるみたいじゃない」
「へ、ヘンなこと言うんじゃないわよ。おこさまがっ」
 顔を赤くしてそっぽを向いて吐き捨てる。その言葉にぷぅぅぅぅっと赤くなるイリヤ。曰く――
「なに。リンまでわたしをお子様扱いするっていうのっ?」
ご機嫌がさらに、これはもう垂直なんじゃないのっていうくらい斜めになったイリヤに、しまった――と心の中でしたうち。いくらなんでも相談してくれたことを台無しにするような事をいわなくてもいいじゃない。なんであたしはここ一番っていうところで禁句を―― まあ言ってしまったことは仕方ない。よし。精一杯のまじめな顔を作ってイリヤに向き直る。
「ねえ。イリヤスフィール?」
「何よ」
 イリヤの顔はまだ真っ赤に膨らんでいる。あーあー、リンなんかに相談したのが間違いだったのよっ。そんな気持ちが伝わってくる。――一筋縄じゃいかないかな? でも、今ここでのコレはあたしの仕事だ。
「イリヤスフィールにとって、家族って何?」
「――知らないわよ。そんなの。
 私が何のために生まれたのか知っているでしょう? リン。
 アインツベルンのために、聖杯の器となるべく作られたホムンクルス。私に、家族なんていないわ。アインツベルンに属してはいるけれど、アレは言うならば私の”マスター”よ。私は聖杯を開くために使役される”サーバント”でしかなかった。
 そんな私に家族なんて呼べるものがあると思うの? リンは?」
 一気に言ったイリヤの気持ちはどんなものだろう。でもあたしが聞いたのは、過去の彼女に家族と呼べるものがあったかどうかじゃない。
「それは分かってるわ。あたしも――あたしたちは。
 そうじゃないの。イリヤスフィール。あなたにとって、家族ってどんなものなの?」
「――なによ、それ。
 知らないわ。そんなの。私は、一人で生きてきた。アインツベルンは家だけれど、家族だなんて思ったことはないわ。バーサーカーも、頼りにはなったけど……」
「そうじゃないのよ」
イリヤの顔を覗きこんで、小さく首を振る。静かな室内に、さらさらと髪が擦れる音が聞こえた。思わず手を伸ばしてイリヤの髪を掬う。白くて、細くて、繊細なそれは、あたしの手には残らずにさらさらと流れ落ちる。
「なによ」
「そればっかりね。
 イリヤが言っているのは、あなたの過去のお話でしょう。あたしはそういうことを言ってるんじゃない。あなたに過去家族と呼べるものがあったかなんて、それはどうでもいいことよ。
 大体考えてみなさいよ。あなたなら知っているでしょう? 桜は間桐の家に入って、独りぼっちだった。マキリの魔術のためにあんなことをされて――誰にも助けを求められず、苦しんでた。――違うわね。あの子の場合は現在進行形だわ。苦しんでる。父も、母も、姉も――兄もなく、一人で泣いているのよ」
 唇をかむ。あたしがそのことを知ったのは聖杯戦争が終わってどれくらいのことだったろうか。あの子が、知れず一人で泣いているのを知ったとき、自分の愚かさに吐きそうになった。士郎に何もかもぶちまけて、二人で間桐の家に乗り込んでいって何もかもぶち壊してやろうと思った。それではだめだと落ち着いて、勝算のある方法を冷静に考えられるようになったのはここ1ヶ月のことだ。今はまだ……だけど、必ず桜をすくいあげてみせる。それは、あの子の聞こえない声にきづいてあげられなかったわたしの義務だ。
「桜だけじゃないわ。士郎だって、10年前の戦争でいろんなものを無くしてきた。衛宮きりつぐっていう人間に拾われて少しは救われたけど、藤村先生と桜がいて最近は持ち直したんだろうけど、アイツの空っぽさ加減も半端じゃないはずよ」
 こくり。イリヤは小さくうなずく。
「あとまあ一応あたしも――10年前に父を亡くしてから一人よ。この10年、家族の暖かさなんて知らなかった。魔術の家に生まれた以上寂しいなんて思ったことは無かったけれど」
 一つだけ、嘘をついた。
「だからね、イリヤスフィール」
 言葉を切る。こくり、とちいさくのどがなった。
「だからね――かわいがらせなさい。イリヤスフィール」
 がばっとイリヤに抱きつき、顔を胸にかきいだく。
「みんな、飢えてるのよ。いろいろと。
 お姉さんだって言うのなら、わたしたち”を”甘えさせなさい」
 我に帰ったイリヤが、ぱたぱたと抵抗する。でも、どんなに強力な魔術師といえ、体格は少女のものだ。抱きしめてしまえばあたしの力でも抑え込める。ばたばたという抵抗で、イリヤのやわらかさが伝わってくる。振り乱れる髪の流れた後にはふんわりとシャンプーの香り。
 ――あ。あたし、おかしくなっちゃうかも。
「な、何いきなりわけの分からないことを言ってるのよっ。はなしなさいっ。――リンっ」
 もがもがと抵抗する。それでもわたしは離さず抱きしめたまま、イリヤの耳元でささやく。
「だから、甘えさせなさい。イリヤスフィール。
 こんなにかわいい家族ができたんですもの。ほっておけないのよ」

「――え?」
 抵抗が、ぱたりと止んだ。
「だから、わたしたちは嬉しいのよ。家族が出来て。今まで自分たちに欠けていたものが出来て。それがたとえ血の繋がらないものの寄り合い所帯だとしても」
「で、でも……」
 あたしの胸から顔をあげ、至近距離から目を合わす。その瞳は、なんと言ったらよいか分からない不安に揺れている。
「わたしたちのこの状態を家族と呼ばずに、なんと呼ぶの?」
「え、えーっと……」
「血がつながっていても、いっしょにすんでいても、それだけじゃ家族じゃないの。
 ――心が繋がっていないと。
 イリヤスフィール? あなたにとって、家族って何?」
「――ぁ」
 ここにきて最初に戻った問いかけに、イリヤは小さく息をもらした。
 わたしの肩に置いた両腕を小さく突っ張って離れる。 
「なにかつごうよくいいくるめられた気がするけれど――騙されておくわ、リン」
 顔をあげたイリヤ。
 ああ。この、彼女の笑顔はなんてかわいいんだろうって。なんて綺麗なんだろうって。きっとあたしがイリヤのことをかけがえの無い家族だって自覚したのは、この時に違いないのだ。あれだけ偉そうなことを言っておきながら。

★★★

「でもね。やっぱりあれはひどいと思うのよ。家族っていうのなら、個々人の気持ちを尊重するべきでなくて?」
 膨れてみるけれど、私の気持ちからとげが落ちてしまっているのは自覚していた。リンの言葉で、気持ちはすっかり丸められてしまったみたい。
「だったらやり返してやればいいじゃない。おねえさんだーってところを見せて、士郎と桜を子供扱いしてやればいいのよ」
 すっかり冷めてしまったお茶を入れなおしながら、リンはそんなことを言ってきた。湯気のたつ湯飲みが私の前に置かれている。
 リンは自分の湯飲みを一口すすってにやりとわらった。きっと、あの正座の向こう側にはあくまのしっぽがふらふらとゆれているに違いない。
「――そうね」
 負けじと。すましてお茶をすする。リンの提案に乗ってみるのも悪くは無いかもしれない。目には目を。歯には歯を。子供扱いには子供扱いを。きっと士郎はどぎまぎして困った顔をするにちがいない――
 にやりと、あかい悪魔と目が会った。私は何物なのか。タイガ曰く、あくまっ娘なのだ。ならばふさわしく、あくまはあくまらしい方法で人間を落とすべき。ああ、リン。あなたもわたしと同じ事を考えているようね――
 まずは士郎から。そして、桜。ターゲットはもう決まっているんだから。

 さあ。どんなおねえさんぶりを見せてあげましょうか――

fin

もしよろしければ、ぼたんをおしてくださいませ☆
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よかった  まずまず  うーん…… 
ついでに一言ございましたら、どぞ。わたしが喜びます♪